ひと手間は気配り、ふた手間は愛情

何となく誰かに言われた言葉を覚えていますか?


ワタクシはタイトルの言葉を誰かに言われたのを覚えています。
ちょうど「おもてなし」とかいう言葉がもてはやされていた時期ではないでしょうか。


日本人が伝統的に大切にしている感性(美意識)については、「他者を尊重し思いやりの気持ちを持つ」がトップに挙げられているそうです。海外から見ると、こういった精神性はかなり珍しいみたいですね。


ちなみにおもてなしの語源は、「もてなす」という動詞で、漢字では「持て成し」と表します。「何かを使って(持って)、ものを成し遂げる」という意味ですが、それが名詞となり、「お」を付けた丁寧語になって、“おもてなし”という言葉になったと、言われています。

また、もう一つの語源が「表なし」からきたという説です。表がないことから、裏もないということで、表裏のない純粋な心でもてなすという意味になります。


ですが、おもてなしの本場ともいえる京都の人って…(これ以上は何も言えません)

 

人間なんて表も裏もあって当たり前です。

むしろ、表も裏もある人は羨ましいとまで思えます。もう何年も「無」になってしまったワタクシからすると、感性豊かな人は素晴らしいなあと。

天井のシミを数えて幾数年。無の心に宿るものは何もありません。悲しいですねえ。


カオナシココロナシになっている人は置いといて、人間は常に他者を意識し、接する相手を選んで生きていくものです。


いくら自分がおもてなしの心を持っていたとしても、それを評価してくれたり、理解してくれる相手がいないと成立しないものです。


他者を互いに敬える関係、そういった関係が成り立つ場所は、残念ながらどこにでもあるわけではありません。
おもてなしをしてもらうためには、相応の金銭を払った旅館やホテルじゃないと味わうことができないのもまた事実です。


努力があって望むべきものが与えられる世界で私たちは生きています。
前提を疎かにしないよう生きていこうと思う、神無月の頃でございましたとさ。