GWも明け、本格的にポカめいてきました。最近は暖かい日を選んで、1年ぶりにバイクに乗ったりしています。どうも中村です。
年が明けたあたりからは体調が通常運転に戻り始め、現在は以前とほとんど変わらない生活が送れています。ご飯も好きなように食べ、休みの日は行きたいところに足を運び、やりたいことをやれる、幸せなことですね。
先月のブログでもお話しましたが、私はそもそも趣味が多すぎる上に、一度ハマるとなかなか飽きないので、やりたいことは増えていくばかりなんです。でも使える時間は限られていますから、趣味が増えるとそれに伴ってひとつあたりに使える時間は少なくなってしまいます。ただでさえ療養で削られていたのに、です。「ひと月の中でやるかやれないかくらいのことを趣味と呼んでもいいのだろうか?」なんて思ったりもしました(笑)
そういえばふと思ったのですが、私のように物事になかなか飽きない人もいれば、すぐに飽きてしまう人がいますよね。どちらの人種も最初は同じように楽しんでいるし、熱中しているようにも見えるのに、しばらくすると一方はまるで何もなかったかのように離れていき、その一方でより深く潜り込んでいく。
これは数ヶ月前に私が話したラブブやシール帳の話にも繋がると思うのですが、この違いはその趣味自体の面白さや奥深さに起因するものではなく、趣味との関係の結び方によるものだと考えています。
すぐに飽きてしまう人たちは、趣味を暇や退屈を埋めるためのものとして見ている面があります。だから、SNSなどで流行ったコンテンツ等、新奇性があるうちは楽しめていても、刺激に慣れると急に熱が冷めてしまうんです。また、その趣味を共有できる友人や仲間がいることが「好き」でいることの大きな要素になっていて、一緒に楽しんでいた友達が離れると自分も自然に離れてしまうことも多いように感じます。
そこでは刺激や所属感のほうが中心になっているのでしょう。
一方で飽きづらい人たちは、趣味をコンテンツとして消費していなくて、趣味を通して自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成しているから、飽きるという概念がそもそも起きにくいのです。楽しむ対象は同じでも、見方が深まったり、分かることが増えたり、自分の感覚が変化したりするので、そこには常に次の問いや発見が生まれていくわけです。
例えば本が入口であれば、その作家の他の作品が気になったり、出版社について調べたり、時代背景を勉強したりする。音楽が入口であれば、そのアーティストの他の曲を聴いてみたり、演奏に使われている楽器や機材について調べたり、ジャケットなどのデザイン方面に興味が移ったりする。こんな具合に。
このような広がり方は「次にどんな本を読もうか」「次はどんな音楽を聞こうか」と刺激やコンテンツを求めにいっているのではなくて、自分が感じた引っ掛かりを辿っているような状態なので、その対象の枯渇は起きづらく、かつ同じところを行き来していてもその度に興味の方向が異なるため、飽きも起きづらいのです。
また、最初は本や音楽だけを追いかけているように見えても、そこから元ネタになっているものを調べたり、文章や歌詞の背景や引用を辿ったり、当時の社会状況や文化に関心が広がったりして、さらにそれらが連鎖していくことで、自分の中の世界の広さが変わってきます。
しかもそれは、教養を身につけようとしてやっているわけではなくて、ただ気になったから調べているだけなんですよ。結果として知識や理解が自然と積み上がっていき、かつその過程自体が楽しくて仕方ない、という状態になります。何かを身につけるためにやっているのではなく、関心に引っ張られて動いているだけなのに、その動き自体が自然と次の入口を生み続けるわけですね。
つまり、ひとつの関心を通して世界の見え方そのものを更新しているから、趣味が趣味のまま終わらず、感性や生活や価値観そのものに繋がっていっているのです。
趣味が続く人にとって、趣味は消費する対象ではなく、自分の世界の見え方を変えていく入口になっているんですよね。趣味を作ろうとして作ったわけではなく、気づいたら何かに引っかかり、勝手に深まり、生活や感覚の一部になっている感じです。
逆に、そういう素質を持っている人でも、「趣味を持たなければ」「何か続けなければ」と意図的に作ろうとすると、途端に義務や自己演出的になってしまって、簡単に飽きると思いますよ。本当に、付き合い方の問題なんだと思います。重要なのは意志の強さではなく、その対象が自分の内側で問いや美意識や生活感覚と結びついているかどうかで、暇つぶしとして始まったものは、暇が埋まれば役目を終えてしまいますが、自分の在り方に関わってしまったものは、もう単純には飽きられないですものね。
長々話していますが、この向き合い方が正解、という話をしたいわけじゃありません。ただ、YouTubeやInstagram、TikTok等が爆発的に流行している現代、新しい作品、新しい情報、新しい刺激が絶えず流れてきますよね。この環境下では、ひとつの対象に深く潜るよりも、次へ移ることのほうが自然な動線になっていて、これらを受け身のまま楽しんでいると、どうしても「もっと新しいもの」「もっと強い刺激」を求める流れに乗せられてしまいます。
新奇性中心の趣味は、どんどん消費してどんどん次に移る流れになるので、積み重ねが内側に残りにくくて、ある時点で「何をやっても同じに感じる」という虚無感に襲われてしまうことが多い気がするんですよ。
少なくとも私が関わっている子たちには、そう感じてほしくないし、同じ趣味でも、新しさではなく解像度や理解の深める方に軸を移して、確固たる「好き」を形成してほしいな、と思うわけです。
自分の好きだけが、自分を守ってくれますよ。まあ趣味を増やすとそれに伴ってお金もかかりますので、ほどほどにした方がいいとは思いますけどね(笑)
それではまた。