常識を決めるのは誰か

友達や恋人の生活を極端に束縛したことがありますか?

 

 

ワタクシはありません。

信頼と自信の塊?(それとも興味がないだけ?)、たなかです。

 

 

丸一塾の歴代講師の女性陣何人かの話で、カレシの束縛強めで異性がいると食事すら行かせてもらえない、みたいなのを聞いたことがあります。

相談されたら即別れろとしかワタクシはアドバイスしないんですけど、自分の生活を制限するような相手とよくもまあ関係を続けるなあと思ってしまうのは人でなしなんでしょうかね???

 

 

恋愛という主観的な感情が強くなってしまうものは、常識という枠がぶっこわれがちです。正解も千差万別なので、アドバイスをしようにも自らの経験と数多の見聞で導き出された「主観」でしかありません。

ゆえにワタクシが間違っている、ということになるのでしょう。

 

 

 

 

さて、常識絡みといえば、今年度の公立入試より全員に面接が課されるようになりました。

正直な話、たかだか15~30分程度で人間なぞ計れるわけもなく。

じゃあ何でそんなことをするのか、これに対する公式の答えは埼玉県の資料に書いてあることでしょう。気になる方は調べてみてください。

 

 

あくまでも個人的な答えとしては、「やばいやつ」を高校側が取りたくない、これだと思っています。

高校側から見た常識外れの人間、扱いに困る人間を落とすための場所にするって感じでしょうね。

 

 

当然、面接があるとなると中学校側で対策を行うことになります。

企業が行うような面接はすることができませんから、あくまでも常識外れにならないようにしましょうね、そのための準備をしましょう、何なら生活指導にも役立てましょう、となるわけです。

 

 

面接の場となれば、相手に印象良く思われるため、姿勢を正してきちんと座る、などの日常生活が反映される部分もあります。その場限りで直せばいいと思うでしょうけど、その場限りで直せる人間は、相手からどう見られるかという客観的な視点を少なくとも持っており、どの姿勢がまともに見られるかを知っている人だけです。

姿勢を正した経験を持っている人だけしか、姿勢を正すことはできないのです。

 

 

しかしながら残念なことに、時代という大きな流れの中で(あえてこう言っておきましょう)、人が人を注意する(特に他人が他人を注意する)ということは、昔と比べて極端に減ってしまいました。

先生という他人が、どこまでそういった指導ができるのか、また指導を受ける側がどこまで我慢できるんでしょうかねぇ…この面倒な世界でどこまでやれるのか、冷ややかな目でいるワタクシであります。

 

 

すでに面接の採点基準等も公表されていますが、採点するのは高校側です。

そぐわない人間を落とすことは造作もないことでしょう。というか、それが正しい姿だと思いますよ。どんどん落とせばいいんですよ。

 

カードゲームに置き換えてみれば、自分のデッキにいれるカードはどこかしらに価値があるものです。持っているだけで本格的に人間の体調が悪くなるような呪いのカード、さすがにいらないですよねぇ。

 

 

人間をいる、いらないなどと言うとまたうるさい方々がわいてくるので、結局みんな本当のことは言いません。言えません。

 

 

ずいぶんつまらない世の中になりましたね。

そしてワタクシも、そんなつまらない世の中を構成するひとりの人間です。

 

 

理想とする世界は、絶望の中にしか存在しない。

まるで文学史の中に出てきては自殺をしまくる偉人達のような言葉を残して、ワタクシもGWという人混みにまぎれようと思う、今日この頃でした(どこへも出かけません)