わが身可愛さ

他人のことを煽ったり、逆に煽られたりといったことはありますか?

 

 

私はあります。どうも田中です。

 

 

「煽る」というワードはあまり良い意味を持つものではないものですが、人と人との関係においては重要な意味をもつものです。

 

 

我々のような塾生を支援する側の人間は、時として塾生のことをほめて得意にさせたり、何かを成し遂げさせるために扇動することがあります。もちろんこれは学校の先生も状況によっておこなっていることでしょう。

 

 

勝負事でも、煽り煽られという心理的な部分は重要です。

味方の気持ちをのせる、相手を挑発して前に出させるなど、スポーツにしろゲームにしろ、そういったものが面白さの1つでもありますね。

チームスポーツであれば、味方のあおりに乗じて士気を高める場面もいくらでもあります。

 

 

「煽り」が良い意味で作用するかどうか、その効果が出るかは相手の心理をいかに読み取るかという部分が全てといっても過言ではないでしょう。

見当違いの「煽り」であれば、味方の気持ちを高めることもできないし、相手を挑発することもできないし、またエンタメといわれるもの全てにおいて、感情を刺激するものができないと意味がなくなってしまいます。

 

 

もちろん悪用すれば、「煽り運転」に代表されるような、相手を心理的に貶めることにもつながります。また詐欺事件なども心理を煽る部分が強いですね。金銭的な詐欺話は、心理を煽ってその気にさせてこそなので。

 

 

これらの源となっているのは、「想像力」です。

これに関しては以前もブログで書きましたが、様々な経験値が想像力を培っていきます。

相手を読み取るのに必要な力です。

 

 

では逆に、心理的に揺らされないようにするためにはどうすればいいのか。

これもまた経験の部分が大きいです。

 

 

精神的に追い込まれた経験の有無が、逆境に対しての強さを発揮します。

勝負事での負けの経験、失敗の経験も人間には必要なことなのです。それらを糧にして人は生きていくわけですから。

 

 

根源的な部分では、人間もしょせんは動物ですから、命を取られるかどうかの経験に近いものをしているかどうかなのでしょう。

それがいき過ぎてしまうと昭和の悪しき部活(甲子園優勝を目指す某パーフェクトなんちゃら野球部など)になってしまいますが。

 

 

1番良くないのは、他人のことはやたら煽る攻撃性をもっていながら、いざ自分が攻撃されると被害者だとおっしゃる方ですね。

はっきり言ってクズですね。

 

 

思いやりは、全て自分に返ってくるものです。

相手に求めたものはそれだけ相手からも求められ、与えたものに対しては同じぐらいありがたいものが返ってきます。見返りを求めてやるものではなく、自然とそうなるのです。

 

 

クズではなく、「与えし者」を目指しましょう。

 

 

以上、仮死状態を8回経験し、煽りでほとんど揺らされることがない人のブログでした。